肉、野菜、魚、炭水化物

お砂糖とスパイスとなにか素敵なものなんかで出来てない人間

懐古主義なんて都合が良すぎる

数日前に昔憧れていた人のSNSをたまたま発見してしまった。その人とは数年前に電話した時に「結婚するから」と言われ、それからメッセージが一年前に唐突に何件か届きお互いの近況を報告したところで途切れてそれきりだった。

SNSには幸せそうに笑う写真と、つい最近産まれた子供の写真が投稿されていた。もう二度と会うことがないだろう人になった人の幸せをこっそり盗み見た事で罪悪感と虚しさと、相手の幸せを願う気持ちでいっぱいになった。好きだった人達は私の知らないところで全く違う道を歩いていき、こうして私が文を綴っているなんでもない時間をもっと有意義に過ごしているのかと思うと私の中の孤独感がみるみる心の中を蝕んでいく。私自身が成長できてない事を改めて突きつけられた気分になった。昔一緒にいて楽しかった思い出は思い出でしかないのに、私はいつまでもその中に取り残されている。寧ろ自分から留まっていると言った方が正しいのかも知れない。もうすぐ二十代も半ばになる年齢だと言うのに何もせずに何も変わらない。久しぶりに会った知人に「変わらないね」と言われると、私のだらしなく情けない本質を見抜かれたようでギクリとする。言い訳はいくらでも出てくるけれど、口にすると悔しさが倍増するので愛想笑いで誤魔化してしまう。私が知人に「変わらない」と言う時には悪意などなく、それどころか変わってなくて嬉しいといった意味を含ませて言う場合が多い。果たして相手にとって変わらないと言う言葉が嬉しい意味で受け取るのか否かは考えもせずに、自分の感情だけで発言してしまう。もし、相手が努力を積み重ねて成長出来たと自己評価をしていたとしたら私の言葉は相手にとって気持ちのいいものではないのに。

私は変化が怖いのだ。自分が変わってしまうことも、相手が変わってしまう事も。勿論、今よりいい方向に向かうなら変化を望む事もあるが環境が変わって宙ぶらりんになるぐらいだったら今のままで良い。それに、変化を遂げるほどのエネルギーも残されていない。常にニアエンプティ状態で日々を最低限過ごすことで精一杯だ。誰もガス欠でトロトロ走る車にいつまでもついていかないだろう。だから一人で取り残されても何も文句は言えないのに、スタンドは見つからない。遣る瀬無さだけが付き纏う。

なんて、全部甘ったれてるだけだ。みなさんは幸せになってくださいね。