肉、野菜、魚、炭水化物

お砂糖とスパイスとなにか素敵なものなんかで出来てない人間

死んだら天才になれると思ってた

宮沢賢治ゴッホモーツァルト石川啄木等、肉な事にこの世から去ってしまった後に脚光を浴びる著名人は数多くいる。

私も、死んだら天才になれると思っていた。

なにも注目される事なんてないのに、才能もなにも持ってないのに。考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しい話だが、本気でそう思っていたのだ。もちろん天才に、までは言わないが少しは人が私の事を評価してくれるようになってくれると思っていた。

けど、元々才能のあった人がたまたま評価されるタイミングが遅れてしまっただけで、死んだから天才になれた訳じゃない。元々天才だったんだ。私が死んだところで何も変わらない。すべて凡人のままだ。

小さい頃から絵は人より描けると思ってたし、同級生より良い文を書けて、下手な外食より美味しいご飯が作れて、良い服を見つけてくるのが得意だって、自分の事を過大評価していたけれど、美術の先生が贔屓にしてくれてただけで絵は一度も賞をもらえたことはないし、文はせいぜい中学生の作文レベル、レシピや服は所詮二番煎じでなにも斬新なものはなかった。

最初からなにも持っていなかったんだ。でもなんでもいいから、評価してほしかった。

あの子が書くひらがなの「あ」が一番綺麗だったとか、あの子の茹でる素麺が一番おいしかったとか、どうでもいいくだらない事でもいいから認めてほしかった。才能がないって認識を麻痺させてほしい。

人よりなにか秀でたところがないと落ち着けない、でも、すべて人より劣っている。

顔が可愛い訳でもない、頭が良い訳でもない、面白い話を持ってる訳でもない、スタイルがいい訳でも、センスがいい訳でもない、絵が上手いわけでもない、文才がある訳でもない、美味しい料理が作れる訳でもない、歌が歌える訳でも、楽器が弾ける訳でも、運動ができる訳でもない、お金がある訳でもない。何もない、そこらへんの人よりも何も持っていない。空っぽだ。それでもみんなと一緒でいたくないって気持ちから変な服を着たりしたけど、私の他にも変わった服を着てる人はいるし、透明人間になった気分だった。アイデンティティがない。自意識で目の前が押し潰されていて、それにすら気付けなかった。

しかしなにもないからこそ美術館に行ったり音楽を聴いたり服を見たり外食をしたりするたびに、才能が妬ましくて悔しくて大好きで憧れて、そこにはたどり着けない。その感情自体がありふれていて憎たらしい。

こんな事を長々と書いてる時点で、私は死んでも凡人で、凡人以下にしかなれないんだな。